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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)5184号 判決

原告 梶原佐惠司

右訴訟代理人弁護士 山田至

被告 中尾致章

右訴訟代理人弁護士 佐々木正義

主文

一  被告は、原告に対し、別紙物件目録(一)記載の建物を収去して、別紙物件目録(二)記載の土地を明け渡せ。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、別紙物件目録(一)記載の建物を収去して、別紙物件目録(二)記載の土地を明け渡せ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  梶原紫朗は、被告に対し、昭和二三年一二月ごろ、建物所有の目的をもって別紙物件目録(二)記載の土地(以下「本件土地」という。)を、賃貸期間昭和二三年一二月末日から三〇年間と約して、賃貸し、引き渡した。

2  梶原紫朗は、昭和三六年九月一三日、原告に対し、前項の賃貸人の地位を譲渡した。

3  (終了原因その(一))

(一) 被告は、昭和五三年一二月末日以後も本件土地の使用を継続するので、原告は、遅滞なく異議を述べた。

(二) 右異議には、次のとおり正当の事由がある。

(自己使用の必要について)

(1) 原告は、六畳、四・五畳、一〇畳の部屋からなる約五二・八平方メートルのマンションに居住している。家族構成は、夫婦二人、子二人(中学生一人、小学生一人)、妻の母(六八歳)一人の五人構成である。一〇畳の部屋はダイニングキッチンルームであり、他の二部屋は子供の勉強部屋と居間として使用されている。しかし、子供らが高校中学の受験を控えているため、家族らは、子供らの勉強を妨害しないように配慮する極めて窮屈な生活を強いられている。

(2) 本件土地を含む原告所有地は一三〇・六七平方メートルの広さをもっているから、原告は、本件土地に二階建の家屋を建築して居住することを切望している。

(3) 原告が居住するマンションは、竣工以来二〇年を経過し老朽化したため、改築ないし大型補修の問題を生じている。この点からしても、本件土地が居住用地として必要である。

(被告使用の必要について)

(4) 被告は、本所三丁目に生活の本拠を有しており、本件土地を利用する必要性は少ない。

(調停の存在について)

(5) 被告は、後記第一次及び第二次調停において、期間満了の際本件土地を明け渡す旨約束している。

4  (終了原因その(二))

(一) 原告と被告とは、東京簡易裁判所昭和三七年(ユ)第八号借地調停事件(以下「第一次調停」という。)において、昭和三七年六日一五日、被告は、本件土地の賃借期日が昭和二三年一二月末日から三〇年間であることを確認し、右期間満了の際、被告は原告に対し本件土地を明け渡す旨合意した。

(二) 原告と被告とは、東京簡易裁判所昭和三八年(ノ)第二三六号調停条項無効確認調停事件(以下「第二次調停」という。)において、昭和四〇年二月一〇日、第一次調停の調停調書が有効に存続していることを確認する、と合意した。

(三) 右のとおり、原告と被告との間においては、第一次及び第二次調停により、更新権を放棄して、昭和五三年一二月末日をもって本件土地を明け渡す旨の合意が成立した。

5  (終了原因その(三))

原告は、被告に対し、第一次調停で成立した増改築禁止条項違反を理由とする賃貸借契約解除の意思表示をなし、第二次調停を申し立たが、第二次調停において、第一次調停の有効性を確認し、右契約解除後第二次調停までの責任を追及しない旨合意したから、第二次調停成立後の本件土地の昭和五三年一二月末日までの使用関係は、明渡猶予期間ないし一時使用のための借地権に基づくものである。

6  被告は、本件土地上に別紙物件目録(一)記載の建物(以下「本件建物」という。)を所有し、本件土地を占有している。

7  よって、原告は被告に対し、賃貸借契約終了に基づく本件建物収去土地明渡を求める。

二  請求原因に対する認否及び反論

1  請求原因1の事実は認める。

2  同3(二)は争う。

被告には、以下のとおり、本件土地を使用する必要がある。

(一) 被告は、原告の父梶原紫朗が経営していた大文堂印刷株式会社に勤めていたが、昭和二三年、本件土地を借り受けてバラックの平家を建築し、これを居宅として利用した。

(二) 被告は、昭和三三年、大文堂印刷株式会社を辞めて、独立した。被告は、平家建を二階建として、動力線、モーター、印刷機等を付設して、印刷業を始めた。

(三) 昭和三七年には、一階の作業所兼居宅を印刷工場(一部事務所)にし、二階を拡張した。

(四) 昭和四七年には、本所三丁目に土地建物(以下「本所の土地・建物」という。)を精華堂印刷株式会社名義で購入した。

(五) 本所の建物は、一階を印刷工場として利用し、二階を居宅にしている。本件建物は、公道に面した部分を事務所、その奥を倉庫として使用し、二階を居宅として利用している。

(六) 被告は本所の建物を利用することはできるが、被告の家族構成(被告夫婦、次女夫婦、次女夫婦の子三人(小学四年生、幼稚園生、生後七か月の幼児))からして、本所の建物のみで暮すことは不可能である。

(七) また、本所の建物に倉庫と事務所を確保することは不可能であり、本件土地建物に替わる土地建物を確保することも困難である。

(八) したがって、被告は、生活上も営業上も本件土地を利用する必要がある。

これに対して、原告は、市ヶ谷駅から徒歩五分で、靖国神社や法政大学に近い文教地区に存在する高級マンション(時価二三〇〇万円程度)に、居住しておりしかも現実に生活しているのは、原告夫婦と息子二人であって、本件土地を差し当たり自己使用のため必要とするといった事情は存在しない。

3  同3(一)及び(二)の事実は認める。

同3(三)は争う。

更新権を放棄し、期間満了をもって明け渡す旨の合意は、借地法六条の規定に反する契約条件にして借地権者に不利なものであるから、同法一一条により、無効である。

4  同5は争う。

調停により賃貸借契約を終了させる合意もなく、一六年余りもの存続期間を定めていること、調停成立時には存続期間が満了していなかったことなどを総合すれば、明渡を猶予する旨の合意が成立したとは到底認めえない。

また、調停成立当時の地上建物の種類・設備・構造及び残存賃貸期間を考えれば、一時使用のための賃借権が成立したと認めることもできない。

5  同6の事実は認める。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二  《証拠省略》によれば、梶原紫朗は、昭和三六年九月一三日、原告に対し、本件土地を贈与し、その旨の登記を経由した、と認められるから、他に特段の事情のない限り、梶原紫朗は、昭和三六年九月一三日、原告に対し、本件土地の賃貸人の地位を譲渡した、と認めるのが相当である。

三  請求原因3(一)の事実は、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨により認められる。

四  (正当の事由について)

1  (本件土地の賃貸及び第一、二次調停等の経緯について)

《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  梶原紫朗は、戦前から、大文堂印刷株式会社を経営していた。被告は、梶原紫朗の姉の子供である。被告は、昭和六年、大文堂印刷株式会社に勤めた。

(二)  昭和二三年なって、被告の母親(紫朗の姉)が上京して被告と同居することになったため、梶原紫朗は、昭和二三年一二月ごろ、被告に対し、本件土地を賃貸した(右賃貸の事実は当事者間に争いがない。なお、右賃貸の際、権利金等が授受された様子はうかがえない。)。

被告は、本件土地上に平家建住宅を建てて、母親及び妻子と住んだ。

(三)  昭和三四年三月三一日、被告は、大文堂印刷株式会社を辞めた。被告は、同年四月ごろから、本件建物で印刷業を始めた。そのころ、本件建物を二階建に増築し、一階の一部を作業所にした。

(四)  昭和三七年に入って、騒音等で紛争を生じた。原告は、被告を相手方とする仮処分決定を得た(東京地方裁判所昭和三七年(ヨ)第二一号不動産仮処分申請事件)。被告は、東京簡易裁判所に対し、借地協定調停を申し立てた(同庁昭和三七年(ユ)第八五号借地協定調停事件)。

(五)  昭和三七年六月一五日、東京簡易裁判所において、原告と被告間に次のような内容の調停が成立した。

(1) 被告は、原告から賃借中の本件土地の賃借期限が、昭和二三年一二月末日より三〇年間であることを確認し、右賃借期限満了の際には、原告に対し、本件土地を明け渡す。

(2) 被告は、本件土地の賃料を一か月一五〇〇円に増額することを承認し、昭和三七年五月一日より毎月末日限り原告方に持参して支払う。

(3) 被告は、現在本件建物の一階を工場、二階を住居として使用しているが、本調停に基づき、左記のとおり増築して使用することを、原告は承諾する。

(イ) 一階全部を印刷工場として使用すること。

ただし、電動機の馬力は、五馬力までとする。なお、工場騒音の防止に心掛けること。

(ロ) 本件建物の二階を、現状よりも五坪まで増築し、住居、台所、食堂として使用すること。

ただし、右増築は、現況における一階の建築部分(ひさしを除く。)より外部に突出せざること。

(ハ) 右増築建物の屋上に現状と同一規模の物干場を設置すること。

(ニ) 右増築部分を(ロ)の用途のほか最少限応急の場合、臨時に印刷紙、印刷用版字等の置場として使用することができる。

(ホ) 右(ロ)の増築部分に対しては、被告は、原告に対し、賃借権消滅の場合に、建物買取請求をしないこと。

(4) 被告は、前項の増築以後は、本件建物について更に増築しないこと。

なお、現状を変更する改築については、原・被告協議の上決定すること。

(5) 将来公租公課の増減、諸物価の騰落等があったときにおける地代の増減については、当事者双方協定して定めること。

(6) 被告は、原告の承諾なくして、賃借権の譲渡又は転貸等をしないこと。

(7) 被告が前記(2)の地代の支払を三か月分以上遅滞したときは、何等の通知催告をなくして、又は、前記(2)を除く前記各項の規定に違背したときには、原告は、本件賃貸借契約を解除することができる。

(六)  昭和三八年に入って、原告は、被告に対し、被告が前記調停条項に違反した増改築をなしたとして、賃貸借契約を解除する旨意思表示した。被告は、東京簡易裁判所に対し、原告を相手方とする調停を申し立てた(同庁昭和三八年(ノ)第二三六号調停条項無効確認調停事件)。

(七)  昭和四〇年二月一〇日、右調停事件につき、原・被告間において、当事者双方は、東京簡易裁判所昭和三七年(ユ)第八五号借地協定調停事件の調停調書が有効に存続していることを確認する、ただし、原告は、被告に対し、右調停調書記載の調停条項中、前記(五)の(3)及び(4)による過去の責任は問わない旨の合意が成立し、その旨調書に記載された。

2  (被告の本件土地の使用状況等について)

前記1で認定した事実に、《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  被告は、前記1で認定したとおり、本件土地上に本件建物を建て、右建物を当初は住居として、その後は印刷工場兼住居として使用していた。

(二)  被告は、昭和三七年一月六日、精華堂印刷株式会社を設立し、代表取締役に就任したが、実質は被告の個人会社であった。

(三)  被告の次女中尾美智子は、昭和四四年一二月二七日、松永昭夫と婚姻し、妻の氏を称した。中尾昭夫は、本件建物で被告と同居し、被告の仕事を手伝った。

(四)  昭和四七年一一月二五日、精華堂印刷株式会社は、東洋信用組合から、東京都墨田区本所三丁目七番九宅地一二七・一七平方メートル及び同所七番地九所在、家屋番号七番九の一木造瓦葺二階建居宅兼店舗一棟床面積一階一〇七・五〇平方メートル、二階一〇八・六九平方メートル(本所の土地・建物)を買った。

(五)  被告は、印刷工場を本件建物から本所の建物へ移転させた。また、中尾昭夫も、家族とともに、昭和四八年七月ごろから、本所の建物に居住するようになった。被告は、本件建物から本所の工場へ通った。

(六)  昭和五四年八月、中尾昭夫は、千葉県市川市新浜所在の土地・建物を購入し、家族とともに、本所の建物から市川の家へ引っ越した。本所の建物には、被告とその妻が居住するようになった。本件建物には、管理のため、時々帰るだけとなった。

(七)  昭和五六年に入ってからは、本件建物に被告が寝起きしたり、本件建物を営業のため使用したりした様子はない。

(八)  被告には、四人の娘がいる。次女を除く三名は、いずれも結婚して、被告と別居した。ところが、三女は、夫の病気のため、子供二人を連れて帰ったが、本件建物でなく、本所の建物に居住している。

被告は、蔵前と本所とを行ったり来たりしている旨供述している。しかし、右供述は、《証拠省略》に照らし、信用し難い。他に、右認定を覆すに足る証拠はない。

3  (原告の本件土地を使用する必要等について)

《証拠省略》によると、次の事実を認めることができる。

(一)  原告は、昭和四二年六月二六日に、肩書地所在のマンション九段コーポラスの一室を買って、家族(妻と子供二人)と居住している。右マンションは、床面積約五二・八平方メートルで、六畳と四畳半の部屋と一〇畳のダイニングキッチンルーム等からなっている。二人の子供は、昭和五六年六月現在、中学三年生(昭和四一年六月生)と小学六年生(昭和四五年三月生)である。

(二)  原告の妻の母が、昭和四七年ごろに原告と同居した。昭和五六年六月現在は、別居している。しかし、原告としては、妻の母と同居して面倒をみなければならないと考えている。

(三)  九段コーポラスは、昭和三五年に新築されたもので、外装・設備等が老朽化してきた。昭和五二年ごろから、改築工事あるいは補修工事について話し合われている。しかし、住人の利害が一致せず、昭和五六年六月現在、具体的な工事計画は決定していない。

4  (正当の事由の有無の判断)

前記1ないし3で認定した事実によると、(一)原告が本件土地を使用することを強く必要としているとの心証を得ることはできない。すなわち、原告としては、子供らの受験期を控えあるいは義母と同居するため、より部屋数の多い住宅に居住するのが望ましいとはいえる。しかし、現在の住居で子供らの受験期が過ごせないとまでは認められないし、直ちに義母との同居を迫られるといった事情も認められない。また、本件土地の明渡を受けても、原告が本件土地の具体的な利用計画をもっている様子はうかがえないから、すぐに右のような不便が解消されるとも考えられない。更に、九段コーポラスの改築・補修工事も具体化している様子はないから、右改築・補修工事問題を生じているからといって、直ちに本件土地を使用する必要があるとは認められない。しかしながら、他方、(二)被告が本件土地を使用する必要性もないと認められる。すなわち、被告は、印刷工場をすでに本件建物から本所の建物に移転しており、また、本所の建物において居住が可能であり、現に本所で居住している、と認められる(被告は、引退したら蔵前に住みたい、本所に住む気持はない旨供述している。しかし、被告の右供述をどこまで信用してよいのか疑問が残る。少なくとも、被告が蔵前に住みたいとの心情を有するからといって、被告が本件土地の使用を必要とする客観的事由を直ちに肯定することはできない。)。したがって、被告が本件土地・建物を使用することを必要とする事情はないといえる。更に、(三)被告は、裁判所における調停で、二回にわたり、昭和五三年一二月末日をもって、本件土地を明け渡す旨約束している。また、梶原紫朗が被告に本件土地を貸し渡したのは、被告が紫朗のおいであり、紫朗の経営する会社の従業員であったことが重要な動機になっていた、と推認できる。

右検討したところによれば、原告が本件土地を直ちに使用する必要性があるとまではいえないが、被告側にも本件土地の使用を継続しなければならない必要はなく、被告が調停で昭和五三年一二月末日限り本件土地を明け渡す旨約束したこと及び本件土地を賃貸するに至った経緯をも総合して考慮すると、原告の異議には正当の事由がある、と認めるのが相当である。

五  請求原因6の事実は、当事者間に争いがない。

六  してみると、原告の本訴請求は理由があるから認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。なお、仮執行の宣言の申立ては、相当でないから、却下する。

(裁判官 小林正明)

〈以下省略〉

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